中国旅行記・雲南地方の昆明・西双版納・大理を巡る旅
![]() ![]() ![]() ![]() |
今年から卒論提出が早くなったおかげで、海外放浪の旅に再度行くことになった。 出発前
卒業論文を書くため日々遅くまで学校にいたため、そのあいまをぬって インターネットや雑誌を調べ、かなり安くて季候もいい中国に行くことになった。 できるだけ長く滞在したかったので卒論発表の次の日には速攻で引っ越しを済ませ、 その次の日には中国へ飛び立つというハードな旅立ちとなった。 2/26
上海空港に到着し、今回の旅行の第一歩をふみだした。税関をでた後、 銀行を探すのに手間取っていたところ、早速銀行は閉まっているから 俺が両替してやるという不貞な輩もいたが、だまされずに銀行を見つけ両替をした。 前回旅したときにお世話になったKさんに会いに行ったのだが、バスに乗るのとかで 手間取ったため、すでに帰宅していた。あいかわらず中国では帰宅時間が徹底しており、 5時になると仕事から帰る人で帰宅ラッシュになる。うらやましい限りだ。 警備の人とかなり筆談でもめた末、何とか奥さんにきてもらえ招待所に止めてもらうことになった。 2/27
とりあえず豫園の方にぶらぶら歩いていき、途中小汚い店で小籠包などを食べた。 かなりうまかったのに満足しつつ豫園に到着した。特にすることもなかったので、 歩き方でも有名な南翔饅頭店に行くが、先ほど同じようなものをたらふく食べたせいか、 あまりうまくなかった。そのあと、上海博物館の行くことにしたのだが、 友人Kは日本の学生証で5元ですんだのに対し20元も払うことになった。馬鹿らしかった。 もっと交渉すればよかったと今になって思う。展示物に関してはよく分からん物だが豊富にあった。 2/28
友人の両替のため友誼商店に行ったところ、裏にスーパーがあった。 上海だから当たり前とはいえ、結構な品揃えだった。 その後、駅に鉄道の切符を取りに行った。コンピュータの故障のため時間はかかったが、 一応予定の昆明行きの切符をとれたのは上出来であった。晩飯には、 結構いい匂いのしていた露店で拉面を食べるが、やはりいまいちであった。 所詮日本のラーメンとは違うのである。明日からの長距離の列車にむけ、 そのまんま板といえる感じの板チョコやお総菜などを買った。 3/1
列車の時刻は夕方であるため、それまで自然博物館で暇つぶしをすることにした。 博物館には北京のそれとは違い取り立てておもしろい物はなかったので残念だった。 列車に乗ってみると軟臥の4人コンパートメントに我々2人と中国人2人というもので、 相手は英語も出来ないようだった。これからの長い時をどうするか不安に思いつつ、 約60時間の列車の旅をすることになった。 3/2,3
日本では考えられないような3泊4日という鉄道での旅。 全く鉄道マニアでもないのにどうしてといった感じであが、 中国ではこれがごくふつうの移動手段なのである。 いや、まだ軟臥(グリーン寝台みたいな物)に乗った我々は、 まだましといえた。1日目の昼飯に一緒の部屋の中国人夫婦が 飯をもてなしてくれた。ここでも、中国語を喋れないので 思うようには意志疎通できず、残念な思いをした。 上海から昆明へと内陸に向かって旅していきながら、 変わっていく景色を眺めつつ2日目の晩も眠りについた。 ![]() 3/4
早朝に昆明についた。昨日の晩、貴陽に止まったときに 食べた激辛の面のせいで、のどをやられ今朝もかなり 体調が思わしくなかった。そんな状態ではあるが、ともかく 列車に乗り続けたせいで汚れきった体をきれいにするべく、 温泉という町に温泉に入にいった。一番安い部屋にしたので、 ただの風呂といった感じではあったが、一応さっぱりした。 バスで帰ってきたところに安い飯屋があったのでいってみると、 昼休みだからしばらく待てといわれ、1時間ほど待つことになった。 確かに量があり、暴食がたたってか、完全に体調を崩してしまった。 ![]() 3/5
昨日の晩、友人Kはそこらを散策に出かけたが、私はおとなしく寝ていたせいか、 多少体調も持ち直したようなので、気を取り直して観光をすることにした。 ホテルのレンタサイクルで中国チャリをかり、町中の観光地を見て回った。 自転車で走っていても少数民族らしき人などほとんど見かけられないし、 観光地自体も中国の歴史の中心であった所に比べるとパッとしていないし、 動物園にいたっては夕方にいったせいかほとんど動物もいないしで、 がっかりであった。夜、多少日本語を話せる刺繍売りのサニ族の女の子に 声をかけられ、刺繍には特に興味はないが暇だったのでいろいろ話をして面白かった。
3/6
朝早く起きて公共バスで石林にいった。2時間程度だがこないだの温泉行きといい バスに乗るのは結構疲れるものだった。バス停に着くと早速入り口まで 乗せていくという馬車のおばさんが寄ってきて、ここでは珍しく乗ることにした。 石林に着いて切符を買いに行くと、中国人料金が30元というのに対し外人料金は 33元というよく分からない値段を変に思いつつもいつものように中国人料金で入る。 後で聞いた話、入り口の横にあるサニ族の村からは無料で入れたそうだから、 まあ納得のいく値段といえた。景色の方はなかなかによく、石の象とかが特によかった。 戻ってきてから散髪にいったところ、中国ではかなり高級な店に行ったためかなり 上手に切ってくれたし、シャンプーをしてくれた娘がこれまた気持ちよくやってくれたので、 いわれるままに按摩までしてもらったところ、終わった後で値段についてもめてしまった。 結局、最初いわれたと思う料金をおいて帰ってきたが、後味が悪かった。 ホテルの前まで戻ってくると、昨晩あったサニ族の女の子がいたので、石林のことや サニ族のことなどいろいろ話して教えてもらった。特にサニ族に伝わる伝説や それについての歌について聞いたのがよかった。せっかく仲良くなったので 記念に刺繍を買おうかとも思ったのだが、今日はそういった話は出なかったので買えなかった。 ![]() 3/7
今日は西双版納自治州の景洪にむけてバスに乗る日である。はっきり言って いつ止まってくれるとも分からないバスでガタガタと24時間も揺られていくのは 自信がなかったが、バスか飛行機しかないのでいたしかたない感じであった。 バス乗り場で切符を見せてどのバスか聞いたところ、これだといって目的地の 景洪までの4/5ぐらいいったところにある思芽という所に行くバスに乗せられてしまった。 出発後ではどうすることもできなかったので、とりあえず到着まで 耐えて行ける所まで行くことにした。 ![]() 3/8
朝、思芽という町に着いた。騙されたと思い腹を立てていた 我々はふて寝を決めていたのだが、運転手のおっさんが景洪いきの ミニバスのチケットを買ってきてくれたので、とりあえず景洪に 行けると安堵した。おっさんは正規の高いチケットを持つ我々を 乗せることで小銭を稼ぎたかったようだ。おかげで予定より早く 景洪に到着することが出来たのはせめてもの救いだった。 24時間のバスでさすがに疲れていたので、十分昼寝をした後 晩飯を食ってから民族風情園に民族舞踊を見に行こうと思ったのだが、 食堂で珍しがられて話し込んでしまい、おまけに50%程度の酒まで出され、 さすがに民族風情園はあきらめた。全然関係ない話だが、このホテルのフロントの娘は かなりかわいかった。 ![]() 3/9
朝からダーモンロンという村に曼飛龍仏塔を見に行った。いってみると立て替えか 修理中らしく、おかげで往復4時間以上の道のりが全く無駄になってしまった。 晩飯に昨日と同じ店に行ったところ、歓迎はしてくれたのだが、よく分からないうちに 大量の料理が出てきてしまい少し不愉快だった。もっとも夜遅くまで楽しんで 帰ることになったのだが。 ![]() 3/10
朝友人Kと別れ今日から一人旅をすることになった。ドミトリーに 移動してみると、「ガンランパーが結構いい」との情報を得たので、 行ってみることにした。行き帰りのバスから見えるメコン川は かなりきれいだったので、夏川下りが出来る時期に訪れる人がうらやましく思った。 景洪市街に戻ってからは、春歓公園に行ってみたが、たいしたことなかった。 夜、2日前に行きそびれた民族風情園に民族舞踊を見に行った。 きれいなひとが、きれいな服で踊ってくれてかなりよかった。 3/11
朝早くのバスで、西双版納の景洪を離れ大理に向かった。 きつい行程とは聞いていたのであるが、昆明行きと道が別れた後は 土の道が続き想像以上にきつかった。本日は途中で休憩することになり、 6元という安い宿に泊められることになった。トイレも洗面所も発見できず、 宿という程のものかという程度の所ではあったが。 ![]() 3/12
朝6時に出発し再び1日のバスの移動であった。相変わらずの土の道で ひどいのであるが、慣れのためか、あまりきつくはなくなってきた。 やがて急な坂道を上っているとエンジンの調子が悪くなり、ついには 止まってしまった。運転手が30〜40分修理して直ったのだが、 よくある光景とはいえ、自分の乗ったバスがそのようなことになるとは 思ってなかったし、また運転手が直せることに改めて驚きを感じた。 昼過ぎに、山道を登っていっていると、にわかに人が増えてきて 山頂付近でバザーをやっていたのがすごかった。 7:30頃に下関につき、迷ったあげく9時頃大理に着いた。 この2日間ずっとバスの中にいたが、その間ずっと一人で 運転していたおっちゃんはすごかった。 ![]() 3/13
一緒に観光する連れがいたので、アルハイツアーに行くことにした。 対岸の観るべき所を全部観ると思っていたのに寺一つとジンサー島しか 行かなかったのにはムカついた。ジンサー島では鍾乳洞を見に行くが、 ガイドをつけないと行けないのにはまいった。晩飯はここの名物料理である 砂鍋魚を食べ、そのままはしごで、露店に串を食いに行った。 牛の脳味噌とかウサギとか結構珍しかった。 ![]() 3/14
中和寺を見るべく中和峰に登った。もう現地の人でさえ歩いて 登らないのかあまり道はよくなかった。まあ、歩いて登ったことで 運動になったのと、墓地などいろいろな物を見れた。次に、三塔倒影公園に行った。 そこには写真で見たのと同じ風景が確かにあった。少し風が強かったため池に 写る塔があまりきれいに見えなかったのがちょっと残念だった。一塔寺もちらと見た後、 下関のアルハイ公園に行った。景色もさることながら、そこでトレーニングしてた 軍人たちもすごかった。とりあえず昆明に戻ろうとバスターミナルに行ってみたら、 成都行きのバスがじきに出るとのことで、値段的にも時間的にもあまり変わらなかったので、 それに乗っていくことにした。 ![]() 3/15
再び1日中バスの中である。昨日夜中に反対側にいたじいさんが降りたみたいで、 最後列の5人分のベットを独占できて快適だったのだが、昼頃若奥さんと その子と母親が乗ってきて狭くなってしまった。この若奥さん 何故か私の横にきて、肩を寄せ合って乗っていたのだが、 きれいな人だったのでいいとして中国人というのは男と女であっても近くにいてもまったく 不快に思わないのには、改めて驚いた。もっともこれは私が 美男子だったかもしれないが…。あと子供がよく小便にいきたがったのだが、 その際バスの中でさせるのには驚いた。 3/16
朝寝ぼけているうちに一度バスが止まったのだが、最奥にいる 面倒臭さと眠さもあってトイレにいかなかったところ、地獄の 1日を送ることとなった。早く成都に着くことを祈りつつ乗っていたのだが、 やがて道は高速工事のための砂利道対面通行に。腰から突き上げる 振動に苦しみながら耐えに耐え2時過ぎに成都に着いた。 確か朝着くといっていたのに。すぐに厠所にいくも下痢の上、 体調を崩してしまった。とりあえず歩き方に載っている安宿に行くが、 古かったためかその宿はなくなっており、そうこうしているうちに 民航オフィスを見つけたので、帰りの飛行機のopenチケットを 予約しに行ったところ、いい日程のがなく、急遽3/19に帰ることとなった。 その後ホテルも無事決まったが、かなり高い宿に泊まることになった。
3/17
朝から天気が悪くやや小雨がパラつくも今日しか成都を 観光できない悲しさか、上海への飛行機をとるため仕方なく 2万ほど両替した後、自転車で市内の観光をした。まず望江楼公園に 行ったところ、確かに変わった形の楼台でよかったのだが、悪天候のため 手持ちのデジカメでは露光調整がうまくいかず、よさそうな 写真が取れずがっかりした。飛行機の切符を買った後、ここでの 楽しみの武候祠に行った。三国志好きの人にはたまらないところではあるが、 展示している武将達の生存年が、劉備が呉に大敗したときと 蜀が滅んだときまでとなっていたのには、ものの哀れを感じた。 次に杜甫草堂に行ってみたところ、いつものように中国人料金で 且つ庭だけに(3元)入ろうとしたところ、何か話し掛けられて 外人とばれてしまい30元払えといわれた。飛行機に乗ることになったため 金の余りない私は杜甫草堂に行くのをやめようかと道端で思案していたところ、 中国人用の通票(13元)で売ってやるといわれ、それで入ることとなった。 陳列館には予想通り面白いものはなかったのだが、そこで日本人1人旅の 学生H君に会い行動を共にすることとなった。2人になって王建墓に行ったところ、 ガイドを読んで西安の皇帝兵馬傭の様なものを期待していた私にはガッカリであった。 帰りに有名な陳婆さんの麻婆豆腐を食べに行った。食の辛い地方に長くいたせいか 思ったより辛くなかったし、また単に辛いという味でなく 豊潤な味付けがされておりうまかった。 3/18
朝起きて、空港へのバスに乗るべく乗り場まで移動していたところ、 浮浪者が大通りの橋の端で自慰をしていた。いきなりすごい 光景を見せられたといった感じであった。飛行機の方は春雨前線が ちょうど成都ー上海の上を覆っているのか、ずっと雲がとぎれなくあり、 これは上海も雨かなと思っていたところ案の定雨だった。まったく 成都に着いてから踏んだり蹴ったりである。日本人貧乏旅行者で有名な 浦江飯店に泊まりにいくが道に迷うし、ドミトリーはないと言われて77元も 払うこととなってしまった。晩飯は雨の中南京路まででていって、 雲南夜市で腹一杯食べた。 3/19
いよいよ今日で帰国である。朝5時に空港に向かうバスに乗り 虹端国際空港より関空に帰国した。自分のあまりの汚さに 上海でさえ恥ずかしかったのが、日本に戻るとたまらないものがあった。 今回の旅は、いつも以上に無計画であったため苦労も多かったが、 とりあえず無事に旅を終えた。 |