メキシコ旅行記・マヤの遺跡チェチェンイツァーにウシュマルを巡る旅
久々に兄と旅行に行くことになり、決めた場所はタコスと遺跡の国・メキシコ。 9/18
東京駅で兄と待ち合わせて成田に向かうはずが、いきなり
予定の電車に遅れてしまう。おかげで旅のポリシーにあわず成田Expressに乗るなんて
ことになってしまう。まあ、空港で無事会えたし、その後は問題なく旅立てたので
とりあえずは出だしよしと言うところか。 9/19
昼ぐらいの便で、目的地カンクンへ飛ぶ。
着陸時にきれいな海と広大なジャングルと言う景色をみて、
ようやく辿り着いたなと思う。 9/20
朝起きて、さっそく一つ目の遺跡の攻略に取り掛かった。
今日の、ターゲットは古代マヤのものでかなり大きい遺跡・チェチェンイツァーだ。
町から、2kmの道を歩いていき結構な入場料を払って遺跡内に入ると、
そこには写真で見たとおりの、ピラミッドがあった。なかなかなものだ。
さっそくメインのピラミッドに登り、上からの景色を楽しんだ。
ジャングルと遺跡。なかなかのマッチングを楽しみつつも、
こんな所に人が住んでいたのかって疑問が沸き上がってきた。
まったく、もっと海岸沿の方がすごしやすかったであろうに。
ま、所詮は他人事だ。 |
今日は、遺跡巡りPartⅡということで、一日ツアーでガバーとウシュマルという遺跡にいく予定だ。
ツアーはあまり利用したくないが、場所がかなり悪いので仕方ないだろう。
朝から、現金不足を気にした兄が両替に行ってしまい、戻ってきた時には
ツアーに行く時間。まったく、朝飯を食えないのかと思うが、まあ、日本ではいつものことだ。
あきらめてツアーの車を待つこととする。
待つこと30分にしてようやく車がやってくる。まったく、この空腹はどうしてくれるんだって感じだ。
私の空腹はさておき、車は一路ガバー遺跡へ。やがて、遺跡にたどり着くが、
第一印象としてはこじんまりとした小さな遺跡だなって感じだ。もっとも、昨日の
チェチェンイツァーがでかすぎて歩くのにかなり疲れたので、手頃のように感じる。
遺跡は昨日のとは様式はちと違うなとは感じられるが、それ以上のことはやはり
理解出来ない。まあ、素人で特に興味がある訳じゃないんだしちょっと違うかなって
感じるぐらいでいいんだろう。ま、遺跡自体以上に、遺跡に巣くっているイグアナ?
の方が興味深かったって感じだろうか。
次に、ウシュマルへ行くが、着いた時で時刻は昼にもかかわらず、食事はなしで遺跡に行くことに。
なぜに?って感じであったが、ツアーの悲しさ、そのまま暑い中ついていかざるをえませんでした。
そんな訳もあって、ウシュマルの感想はいまいちだったかなってところ。
第一、観光客が来る日に遺跡の修復(建造)なんかしたらいかんでしょ。
で、そんなうちに遺跡探索もおわり、ようやく待ちに待った食事の時間。
大抵、こういったツアーについている食事はかなり豪華なのでかなり期待していたのですが、
期待に反して遺跡の外にある付属のレストランで普通に食べろとか。
おまけに、飲み物代は自分で出せときた。まったく、結構な代金を出したというのになんてツアーだ。
ま、それでもなかなかにおいしかったし、一緒に食べてたベネズエラ人のおじさんが
おごってくれたのもあって、楽しい食事だった。
食後、そのままメリダまで戻って宿の戻って休憩した後、美味いものを求めて
町の屋台にくりだした。昼が遅かったのであまり食べられなかったのだが、
なかなかうまいタコスなどを食べられたのだが、この際我々が食ってる店に
流しの歌い手がやってきて勝手に歌出し、皆がそれに対して適当に金をやってるのには
驚いた。まったく、おかげで貧困?旅行者の我々も多少の銭を出費せざるを得なかったのだが。
今日はいよいよ、メキシコシティへ向けての1000km20時間のバスに乗る予定の日だ。 前回のカンクン−PISTE間の5時間バスがかなりつらかっただけに、かなりのプレッシャーだ。 最後の晩餐とばかりにややまともな食事をとった後、バスに乗りこんだのだが さすがに1等バス。ちゃんとトイレがある。(後で読んだところ歩き方にもちゃんと書いてあったのだが) バスが、3時間おきぐらいに大きな町に着いて30分ぐらいの休憩があったのだが、 その時間に、屋台でタコスを食べるのだけを楽しみにしながらバスは進んでいき、 やがて夜をむかえた。
朝がたようやくメキシコシティーらしきところまでたどり着いた。
これで、長かったバスのたびもあと少しだ。が、そこは世界有数の人口の多さを誇る
メキシコシティー。町に入ったと思ってからも、なかなかバスターミナルにたどり着かない。
結局1.5時間程度かかってからターミナルに着いた。いやはや、疲れた。
ここで、予定では町の中心部に行って宿をとってバス旅の疲れを癒すはずだったのが、
最後の遺跡巡りの場所・ティオティワカンへのバスを見つけられたことから、
そのままティオティワカンへ。いやー、すざましい強行軍だ。
バスの中に弾き語りが乗り込んできてまたしても銭をうばわれるが、
遺跡に無事たどり着いた。腹が減っては・・・ということでまず腹ごしらえをして
その後、遺跡を攻めた。ここの遺跡はかなり広い上に結構高いピラミッドに
2個も登るまたまた疲れるところだ。それに、シティーから近く観光客も
多いこともあってか物売りどもがよってきてうっとおしい。
暑い中歩くだけでもしんどいというのに、物売りの寄ってくるのにたえ、
遺跡を巡っていったところ、ピラミッドの頂上で日本人に話し掛けられた。
彼女曰く、チェチェンイツァーやウシュマルで我々を見たとか。
まったく、この広い国の中でそんなことがあるとは驚きだ。
しばし話した後、別れて我々も遺跡の攻略をし、その後シティーに戻った。
地下鉄で町中に戻った後、宿を探すがラッキーなことに、今回の旅の中で
最安でかなり快適な宿を発見する。
バス&遺跡でかなり疲れてきてたので、即休養をして、
夜駅近くの屋台でタコスと生人参ジュースなどを楽しんでから、今日も終わる。
今日明日は、旅の最後ということでシティーで平和に過ごす予定だ。
まず腹ごしらえということで、昨日の晩と同じく屋台と生ジュースを飲んで、
適当なマーケットに出て行くことにするが、兄がトイレに戻りたいとのことで、
いったんホテルに引き返す。
しばしの休憩の後に、とりあえず宿の近くの小さな美術館を覗いて、
その後日曜雑貨などを売ってるマーケットを目指す。
ここまで、半袖短パンで旅をしていた私にとって目的は、
まともそうな服とズボンを買うことである。
かなり広い市場を歩くうちに目に留まったズボンも見つかり、
その場で(試着室などなかったのだが)試着してめでたく購入した。
その後も更に広大な市場を歩きまわったのが、
気がついたこととしては、PlayStationを売っている店が多かったことと、
期待?していたまともなインラインシューズを売っている店がなかったことであろうか。
市場を歩き回りつかれたのもあって、休憩がてらやや遅い昼食をとり、
その後は、ソカロの方へ行く。
先日ピラミッド頂上に車が着地した遺跡・テンプロマヨールもちらと覗けたが、
事故の現場らしき場所が分からなかったのがちょっと残念であった。
ソカロでは、怪しい日本人が異質な芸をしていたのも笑えたが、この国にしては
あまり銭をもらえてなかったように見受けられた。まったく、彼の美的センスが、
ちょっと異常過ぎたのであろうか。
その後は、おとなしく宿に戻って休養し、今日も夜はタコスと生ジュースを求めて
あたりを徘徊するのであった。
今日も、町ぶらの日。いつも利用している地下鉄の駅の近くにコンピュータ
スクールがあることから、コンピュータマーケットもあるだろうと思い、
まずは、怪しいCDなどを求めてコンピュータマーケットに行くことに。
スクールの入口に立ってたスタッフに場所を聞いて、地下鉄で移動すること
数駅。が、そこには何もなかった。やはり、おばちゃん地図が分からなかったのであろうか?
仕方なく町中に向けて走ってそうな市バスに乗って、中心部に戻ることにしたところ、
途中で電気街らしきところが。あわてて飛び降りて電気街を攻めに行ったのでした。
感想としては予想通りハードはどの国とも変わらずでたいして安くも面白くもなかった上、
ソフトも怪しいものが見つからずでおもいっきり期待外れって感じでした。
あと、途中インターネットカフェがあったのでメールチェックでもしてみるかと入ったのですが、
日本語が表示できず駄目でした。(さすがに、勝手にマシンの設定を変えるのも気が引けるし。)
一度宿に戻った後、今度はシティー1の高級街ソナロッサへ行ってみることにしました。
が、行ってみたはいいが、あまりの物価の高さに貧乏旅行者の私にはあわない場所だなと
思いつつ引き上げることになったんですが。第一、ファーストフードでジュースを飲んだだけで、
120円もしてたら(ちなみに生ジュースは30円ぐらい)やってられんでしょ。
旅行最終日ということで、豪勢に晩飯を食べてしめたかったんですが、
結構おなかに疲れが溜まってきてたので、軽くトルタス(サンドイッチ)を食べて、
食道楽の旅の最後としたのでした。
いよいよ朝8時ぐらいの飛行機でメキシコを発つ日。朝5時に起きて
地下鉄に乗りに行くが、残念ながらまだ動いていない。聞いてみたところ、
7時からとか。仕方なくTaxiで行こうかと思ったところ、どうやらバスは既に動いているのを
発見。ということで、適当バスを適当に乗り継いで空港に向かうことにし、
無事空港にたどり着き、その後メキシコをあとにし経由地ロスへ飛ぶのでした。
ロスでは乗換だけなので、たいした手続きなしに行くと思っていたのが、
何故か、入国審査を受けることに。まったく、不便すぎるぞ、アメリカ。
そんなおかげで、乗り継ぎ手続きに行くのが遅くなってしまったんですが、
それが幸いしてか、帰りの席はビジネスクラス。
初のビジネスクラスに、飛行機の上にこのような世界があったのかと驚きつつも、
無料で舞い込んだ幸せを楽しみながら日本に戻るのでした。