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中国旅行記・万里の長城に皇帝兵馬俑・泰山の世界遺産を巡る旅

来年就職、といっても出発時には決まっていなかったのだが、 そうなるともう放浪の旅になど出れるのはこの夏で最後。
そこで強引に友人Tを誘いアジアの中心・中国に行くことに。

旅装
出発前

急に行くことを決めたため、国内でVISAを取る時間がなく、そこで船内で VISAの取れる船で行くことにした。神戸〜上海の便にするか神戸〜天津の便に するか迷うが南方は天候不順とのことなので、天津行きにすることにした。 予約が遅かったため、2等(22500円・学割あり)が取れず1等(29000円・学割なし)で行くことに。 はっきりいって、格安航空便とそう変らない…。 前日まで講座旅行に行っており多少疲れもあるが、とにかく出発する。

8/1〜3

港についてみると思ったより小さな船だ。まあ中国行きの客船な どあんなものだろう。そうそうに、乗船や出国の手続きをした。 船に乗り込むとチャイナドレスのおねいちゃんが、部屋まで 案内してくれた。まあまあの部屋だ。出港後は情報収集ならびに 暇つぶしに精力的にロビーをうろついた。こうして中国旅行3回目の 東京の女の子Yなど、4組ほどの個人旅行者と仲良くなり旅について 語ったりUNOをしたりして船内を過ごした。皆シルクロード目指すらしい。 何ら計画のない我々とはおお違いである。こうして天津に着く。 30分程してVISAをもらい入国してみると船内で言われたとおり、 銀行が開いてない。そのため天津観光をあきらめ、船で友達になった 連中と北京に向うことになった。そのまま皆について人民大学の 招待所に泊ろうと思うも、メイヨー(無い)と言われ、 あえなくみんなで別のHotelに行くことにした。ツインで260元(約3300円)と やや高いが、とりあえず中国での一夜目をむかえた。

餃子大王
8/4

本日は安いドミトリーを探しに南の方にいく。途中5つ星の ホテルでようやく両替ができた。目的のホテルは修理中のため、 あえなく他のHotel(ツイン,130元)に行った。昨日と同じ友人Gといったおかげで、 泊らせてもらう苦労がなかったのは、ラッキーだった。 空気が汚いのと結構ハードな日々が続いたのもあって、 かなりの鼻水だったので、近くの薬局に薬を買いに行った。紙に書いた 鼻炎という文字を見せながら、ウオヨオ(我要)といって 鼻根治なるものを買った。 パッケージてきに効きそうな感じだったが、いまいちだった。 晩飯は、昨日行った大学近くの餃子大王という店で 餃子をたらふく食べた。ここで食べた山菜入りの餃子は、かなりまずかった。

長城
8/5

列車の切符を取るべく北京駅まで行った。歩き方では外国人窓口なるものがあって、 簡単に切符の予約ができるらしかったのだが、まったく場所が分からず、 ジェスチャーを交えて聞くも駄目で結局断念した。そこで歩き方に 載っている中国国際旅行者(CITS)に行って今後のチケットの 予約をしてもらうことにした。この日で一緒にいた中国語学科の 女の子Yと別れ、後は一緒に行っている友人Tと男一人旅の奴GとYとなった。

長城
8/6

朝、早くからホテルにあったツアーで、明十三陵及び万里の長城に行った。 後で知った話、公共バスで単に長城だけ行ってくれば16元で行けたのだが、 60元の英語ツアーで行ってしまった。若い。十三陵の中には地下宮殿なるものが ありこの暑い季節にもかかわらず涼しかった。土産物屋の前では白人が来るとかなり 声がかかっていたが、我々や人民は全然相手されなかったのは笑えた。 長城は急な所ではかなりのもので昔の人はどんな体力をしていたんだろうとか 思ってしまった。景色の方は写真なんかで見るよりはるかにすごかった。 今日別れる予定だったGが以降の旅行の手続きに手間取ってしばらくいるので、 いいHotel(3人,168元)を探したらしく、そこに移動した。 ベットはまともだったが、トイレが共同ですごくひどかった。

天安門 故宮
8/7

朝CITSにいって、先日頼んだ旅行プランがどうなったか聞きにいくが、 こないだのおばちゃんが来てなくて、なにもできてなかった。 こんなので大丈夫かと思うが、自力でチケットを買えぬ悲しさ、 結局再度頼み直すことになった。午後は気を取り直して天安門と 故宮(紫禁城)を見に行くことにした。噂に違わず広々とした 天安門広場に降り立つと例の毛沢東の写真がでかでかと見え、 何とも中国といった感じである。そういえばここではかなりの 数の公安がいた。暑かったため結構疲れてきていたが、 天安門を通り抜け故宮に入る。ここも広さとしてはかなりのものだが、 赤を基調とした建築であまり趣味に合わなかった。ただ、 後宮の広さは羨ましかった。最後に後宮を抜けて、 北にある景山公園に登る。半日かけて歩いてきたところが見渡せ、 かなり景色がいい。夕方Hotelに戻りTとGの3人で飯を食った。

8/8

昨日・一昨日と結構ハードだったので、今日は楽なスケジュールとし、 昼ぐらいに近くの自然科学博物館に行き、その後CITSに行くことにした。 博物館では人体のホルマリン漬けの標本が展示してあり、キ○タママ○コが、 何の違和感もなく展示されているのには驚いた。CITSではとりあえず、 切符を手に入れ、上海にさえ行けば日本に帰れることになった。

8/9

今日で、北京をゆっくり観光できる最後の日。とりあえずMap上では 北のはしにある円明園・頤和園に行くことにした。例のごとく 満員のバスに無料で乗り込みとりあえず頤和園へとむかったところ、 たまたま乗ったバスが円名園前で止まったので先にこちらから 行くことにした。この公園は、清の全盛期にかなりの歳月をかけて 作られたが、アヘン戦争の折りに英国によって破壊されたので、 だだっ広いだけでなにもないといった感じになってた。そんななので、 とりあえず最も奥の観光地らしきとこまでいってから、戻ることにしたところ、 なんと道に迷って怪しげな民家の中へ出てしまった。30分近く迷ったあげく ようやくバス通りに戻ることができ、一路頤和園へと向かった。 ここは、西太后が国力をかけて作った公園なので、公園としては すばらしかった。が、ここで無情にも雨。霧雨の中見る昆明湖も なかなか素晴らしかったが、できれば好天の中ゆっくり見たかった。 バスで戻ってくると、さらに雨はきつくなったので、早々にホテルに 戻った。Gと互いの今後の旅を語りながら夕食をとって、最後の 別れの一夜を過ごした。

8/10

夜行で泰山の麓、泰安に向かうので、今日はそれまで個人で 自由行動をした。北京大学近くを通っているとき、コンピューター街を 見たような気がしたので行きたくてたまらなかったからだ。 無料バスを乗り継いで近くまでいってみると看板ばかりで これといった店はなかった。まあ、486機でも売っているだけましと 思った方がよいのではとか思える様だった。こうして早いもので北京に いるうちに旅程のほぼ半分近くを過ごしだいぶ中国というところに 慣れたところで想像以上に快適な列車(軟臥)で泰安に向かった。 友人Tと2人きりになり、きつい旅になるであろうが…。

泰安
8/11

朝、泰安に着いてまずしなければならなかったのが、 CITSに行って洛陽行きの列車の切符をもらうことと、 そして今までで最大の難関自力でホテルをとることであった。 CITSにまず行くと、朝早すぎて開いてなかったので、しばらくしてから行くと 今日はまだとれてないので明日こいとのことであった。 一応、招待所(中国人向けのホテル)を教えてもらい行ってみるが、 案の定日本語はおろか英語もできなかった。ジェスチャーと 漢字で泊まりたいという意思を表してみるも、おねいちゃんから 戻ってきた言葉はメイヨー。ここで意気消沈していると かわいそうに思ったのか、隣の寮を紹介してくれて一泊50元にて 泊まることに成功した。全くどこにでもいい人はいるものである。 午後からは待望の泰山に向かった。本当は一番下から7000段近くを 歩いて登ってみたかったが、午後になってしまったのと、いまいち 天気が悪かったことなどの理由で、途中までバスで行き残り2500段程度を 登っていくことにした。普段からあまり運動などしない私には、 この道のりは非常に厳しいものだったが、その分道ばたで食べた 柿はうまかった。道中、なによりすごいのは山頂の店の仕入れに ロープウェイを使わずに担いで運んでいる点だった。 山頂まで来ると霧が出ておりかなり寒いし、景色はあまり 見えないしでいまいちといった感じだったが、それでも 始皇を始め歴代の有力皇帝が禅譲の儀式を行ったと思うと 感慨深いものがあった。こうして早々に下りの途についた訳だが、 当然というか、登りより早いのだが、かなり膝が痛かった。 夜、のどの渇きのため、寮の前でやってる出店に飲み物を買いに 行ったとき、冷えたペットボトル欲しさにおばちゃんに ジェスチャーで冷やしてもらい、30分ぐらいしてから 楽しみにして持って帰ってみると腐ってた。 あわてて交換してもらいに行くと、全く相手にしてもらえず、 30分かけて築いた友情が崩れ去った

8/12

昨日の疲れか脚は痛いし、とにかくだるい。まあ今日は 洛陽に向けての移動日であり、列車にさえ乗ればいいが…。 近くの飯屋で遅い朝飯をとったところ何故か人気のもに なってしまった。どうやらここでは外人は珍しいらしい。 飯を食った後も定員さんとたっぷり話した後、記念の 写真を撮りその後駅に向かった。列車に乗るのは2度目とあって、 結構簡単に乗り込むことができ、泰安を後にし洛陽へと向かった。

8/13

洛陽の駅に着いたのが、朝の4時頃。まだバスは 動いていないが結構大勢の人々が活動しているのには 中国人のエネルギーを感じさせられた。しばらく駅の前で、 ボーとしていると、何故か腹が痛くなってきてしまい あえなく有料の公衆便所に行く羽目になってしまった。 今まで有料便所には行っていなかっただけに残念である。 入ってみるとついにでたというか敷居のない便所。 仕方なく用をたすが、つい横を見てしまった際に、 隣の奴のクソをモロに見てしまうは、そいつと目は合うはで さんざんであったがここは中国と自分を納得させるのであった。 ホテルに着いてみると、思ったよりいい部屋で全く CITSのおばちゃんありがとうといったとこである。 黄河を見に行くことにしかなりの悪路をバスに揺られて いくとそこには、そのまんま真っ黄色の河があった。 この河が4大文明の一つを支えた河かと思うと何ともいえないものがあった。 夜、友人Tの食欲を考えて、歩き方に載っている 日本料理の店に行った。結構高かった割にはたいしたこと なかったといった感じだ。ホテルもでの帰り道に通った 市場で結構うまそうなものがあったので明日、行こうと 思いつつ帰る。また、1本0.5元のアイスをみつけた。

関帝廟
8/14

今日は友人Tの今回の旅行で最も行きたい所、関帝廟に行った。 ここは男ならたいてい(こんな書き方をすると私の数多い 女性ファンに怒られそうですが)知っている、三国志の 蜀の名将関羽をまつった所。この広大な中国の大地で なん1000年も昔にあれだけ有名になるような出来事が あったとはあらためて中国はすごいと思う次第であった。 ここではついにおみやげを買うことにし、関羽の木の彫り物を 買った。この際、270元と書いてあるのをギャグで 100元と言ってみたところ、即OK!でおまけに、 おばちゃんがガイドブックを欲しいというのであげたところ、 置いてある絵はがきやキーホルダーなど全部2個ずつ くれた。ラッキーだ。 そのまま竜門石窟に行ってみてもよかったのだが、 荷物が重かったのでホテルに戻ることにした。今日も 結構暑かったので再度昨日と同じアイス屋に行った。 昨日より高かったので文句を言っていると、冷やし代とかいってた。 向こうもこちらが日本人と分かり話していると、若い おばちゃんたちだと思ってたのが思ったが、17歳位の娘だった。 仕事が3時過ぎで終わるらしく、それから公園に行こうと行って 来たので4時に待ち合わせをしたが、来なかった。 友人Tが食欲がないそうなので、昨日みてあった店に一人で出かけて 隣の人と同じものを食べた。一言もしゃべらなかったら 日本人とは分からないようである。連続アルコール記録 更新のため出店で瓶ビール(2元)を買って、ラッパ 飲みしながら帰った。

8/15

今日は、西安に移動する日。今までの2回の移動では 夜行列車だったので、昼移動するのは今回初めてだ。 洛陽-西安間は昔の戦争の際に、要害として 知れ渡っただけあって、かなり荒涼とした大地が続いていた。 西安に着いてみると、大きい町で観光地としても有名なので、 ほのぼのとした感のあった泰安・洛陽とは雰囲気の大きく違う街であった。 CITSでとってもらったHotelは駅の前にあり、値段(75元)の 割にはかなりよかった。チェックインの際知り合った日本人と歩き方に載っている 日本料理屋・恵里に行った。ここは、値段の割にはおいしく、 日本語をしゃべれる中国人ウエイトレスもいて、 かなり楽しめた。

西安
8/16

今日は有名な秦の始皇帝の皇帝兵馬傭抗を見に行くことにした。 朝飯に駅前の怪しい店で包子を買い喰いながらバス乗り場を 探すが、予想通り見つかりにくくいきなりジェスチャーで 苦労して聞いてようやく目的のバスに乗り込むことができた。 兵馬傭抗に着いてみると、入場料が外国人と中国人とで大きく 違って80元と20元と4倍という暴利をむさぼられていた。 この値段は日本円にしても高く、結構持ち金の枯渇してきていた 我々は入ることをどうしようか迷っていたところ、怪しい 中国人がやってきて、中国人用のチケットを50元で 買ってやるといって来た。じらし続けてついに30元で 買ってもらうことができ、おかげで50元の浮きを 作ることができた。最もそれでも観光地の入場料としては かなり高いのだが…。兵馬傭抗自体はテレビなどで 見たこともあるようにかなり素晴らしいもので、 2200年以上昔によくこれほどのものを作ったなあ!と 思わされた。写真撮影禁止であったがこっそり とってきたのだが、残念なことに映ってなかった。 全くもっといいカメラを持っていけばよかった。 帰りに乗ったバスは、京都市営バスの払い下げで、 中国は右側通行にも関わらずドアが左と、結構 デンジャラスなバスだった。

大雁塔

午後、時間があったので体調の思わしくない友人Tをおいて、 ホテルで自転車を借りて大雁塔など、西安中心部の 史跡をみつつ、サイクリングをした。かの有名な 中国自転車であるが、思ったより高性能であった。 帰りに、力士の絵を描いた富士通の広告看板があったので、 ついつい行ってみたが、大した店でない上に英語すら できる人がいなく苦労してた所、自称英語とコンピュータを 学んでいるという学生がやってきて、結構話が合い、 閉店の後そいつの家に招かれていくことになった。 2時間ぐらいいろいろなことを話し飯をおごられた後で、 今日の接待費に100元だせといわれた。 はっきり言って飯代は二人で10元ぐらいだったし、 家?もコンクリ製の監獄みたいな所にベットが3つといった すざましいとこだったのになんで、といった感じであった。 せっかく2時間もかけて培った友情もこれで完全に壊れ去った。 やはり、これだけ懐具合に差があると 友達にはなれないのか?と、悲しく思いつつホテルに 戻っていくのであった。

8/17

今回の旅行で初の飛行機による移動の日。上海は 暑そうではあるが、江南の方にも行ってみたかったのと、 商業と貿易の町なので、帰りの航空チケットが安かろうと いうことで、そのような旅程とした。友人Tの方が バイトの関係上18日に帰るのでTにとっては今日が最後の日。 おかげで、空港近くの上海では3つ星のホテルに おごりで泊まれることになった。単なる3つ星の ホテルという以上に上海というしゃれた町のホテルという感じが見受けられた。

8/18

朝8:50ぐらいの便で友人Tは日本に帰るので、送っていった。 ところが、掲示にでていたフライトの時刻は 1時間以上早く、あわてて手続きをして乗り込んで いってしまった。後で聞いたところ、本当にフライト 時間が早くなっていたらしい。とにかくこれで 一人旅となった訳だが、この15日間程度の旅で 割かし中国に慣れてきていたので、簡単な気持ちで この日のうちに抗州を目指すこととした。歩き方によると、 上海駅の切符の外国人窓口は結構分かり易そうだったので、 そこを目指すも、例のごとく駄目だった。しかたなく、 これまた歩き方に載っている駅前のホテル内の日本語も 通じるらしい切符売り場に行った。行くには行けたが、 日本語は通じず、ではジェスチャー混じりの英語で 気合い入れてやってみようかと思ったところ、横の列に 並んでいたおねいちゃんYが「私が手伝いましょうか?」と 言ってくれ、おかげで労なく切符を手にすることができた。 全くうれしい限りであった。おまけに、駅の乗り場まで 案内してくれ話してるうちに、抗州と、上海に戻ってからの 世話もしてくれそうな雰囲気になってきた。はっきり言って、 うれしいが、西安でのことがあるだけにどうしようと いった感じであった。が、この誘惑には勝てず お世話になることになった。抗州に着くと、上海であった おねいちゃんYの友達Gさんが迎えにきてて、タクシーで 希望したランクのホテルにつれていってくれた。 それが、一泊30元とこの旅行中最も安く最も ボロイ所であった。西湖の湖畔でかなりアベック向けの 地に男一人でやってきたのは結構つらいものがあったが、 せっかくの旅行を満喫すべく明日の計画を練りつつ 筵の上で眠りについた。

西湖
8/19

昨日勧められたとおり、朝から西湖北岸の丘を散策した。 道中、太極拳をしている年寄り連中などもいて、華北とは かなり違った様相だった。西湖の感想としては、もっと水や 空気がきれいだったらもっと素晴らしい風景なのに、という所であった。 西湖十景を見ながらぶらぶらまわるとかなり脚は痛いし暑いしで 疲れてきたので、昼からは町に行った。普通の商城(スーパー)みたいな 所では外国人と思われることもなく、おかげで結構退屈であった。 夜、G夫妻に夕食を招待された。これまでの旅行の苦労話などで 結構盛り上がった。もっとも英語での会話なので苦労したが…。 そういえばこの旅行中何度か食べた鳥の脚を蒸した料理は、結構うまかった。 まあ、最初はグロかったけど。

8/20

朝から抗州の南郊外の銭塘江のほとりに立つ六和塔や天下第三泉と 賞されるフーパオチュアン、中国にある座仏としては最大級の大きさを 持つ仏のある霊隠寺などに行った。昨日歩きすぎたせいで、 どうもすぐ疲れてへたり込んでしまう。また、話し相手がいないのにも、 さすがに応えてきた。ということで、それぞれの場所を軽く流して、 今日は結構早く宿に戻った。夕食に入った店で、店のおねいちゃんたちと 仲良くなり、結局閉店までずっと店でぶらぶらしてた。3日目とはいえ、 筵の上で眠るのには暑さもあり寝苦しかった。

8/21

昼ぐらいの列車で上海に再び戻った。抗州に来た際は新しくできた 抗州西駅に着いたのだが、行ってみたところどうやら抗州駅からだったので、 雨の中戻っていくのに苦労した。まあ、何とか列車に乗り込み 上海に着いてみると、Yさんの紹介でSさんが迎えに来てくれることになっていたのだが、 着いてみると彼らしき人は見あたらず、2・3回駅の前を歩いた後しょうがなく 自力でHotelを探そうかと思っていたところ、運良く出会うことができた。 まさに、救いである。彼は日本語は当然のこと英語もしゃべれないので 意志疎通にはかなり苦労したが、Yさんが10文程度日本語と中国語で 必要な会話を書いてくれていたのや、Sさん自身かなりおもしろい人であったので お互いにジェスチャーを交えながら、彼の家に戻っていった。 上海はさすがに中国一の貿易の町というだけあって大きなビル・マンションもあり、 そんなマンションの一つにおじゃましたわけだが、 ここが共産主義を掲げてる国か?と思わせる程豪華だった。

TVタワー
8/22

朝、Sさんが出社するバスに一緒に乗せてもらって一緒に会社に行った。 日本語をできる人を交えてこれからのことを話すためだ。 上海雑疑団に行きたい旨に言ったところ、今からではチケットが 取れないと言われて、やや残念にも思うが豫園やその周りの市場をうろつき 上海の町をぶらぶらするのも一興と歩き回った。豫園は小さいながら(中国にしては) かなりきれいなもなであったし、その近くにモス バーガーまであったのには驚いた。 南京路の電気店でコンピュータを売ってたので見に行ってみると、 一応Pentiumパソコンまで売ってた。春、香港でもみた中文版のWINDOWS95には 興味があったが値段が日本のものとそう変わらなかったのであきらめた。 また、中国でよく利用されるペン入力というものも試すが、そこそこのもんだった。 夜の町も少しは観てみたい気もしたが、泊めてもらってる関係そういうわけにもいかず、 早々に引き上げた。夕食はSさんの婦人の手料理をいただけ、 また鳥の脚を蒸した料理を食えた。夜は、今日疲れただろうと 気を使ってくれたので、早めに寝た。

8/23

明日朝早くの飛行機で日本に戻ることもあって、今日がこの長い旅行の 最後の日。そろそろお土産を買わねばならないのもあって昨日と 同じようなコースをうろつきながら頼まれていたT−シャツなどを探し歩いた。 北京では10〜20元ぐらいでいくらでもお土産用のT−シャツなど売っていたのであるが、 ここ上海では洒落たものはあれどこれぞ中国というようなデザインのT−シャツは なかなかなく、結局外国人向けの百貨店で結構高い金で買うことになってしまった。 夜は食い放題の店につれていってもらった。50元で腹一杯、飲んで食べて出来るのは 今までの食費からみてもやすかったように思った。家に戻るとカラオケを しようということになり、中国の曲を知らない私としては聞いてるだけだったが、 サザンの"真夏の果実"の吹き替え版があったときには、さすがサザンと 思いつつ歌ってきた。この日はおかげで結構遅くまで遊んだが、直接会話を 出来ないのがもどかしいものであった。

8/24

朝の便で日本に戻った。友人Tが帰るとき飛行機の 時間が早かったみたいだったのでやや心配だったが、 自分の時には定刻に出発た。まあ普段の行いの成果かなと思った。 なにわともあれ、行きの船以外なにも計画していかなかった 強行軍の旅であったが、無事日本に帰り着いた。